| 歴代家元 |
号名 |
好み物 |
略歴 |
| 始祖 辻玄哉 |
|
ナニヤロウ棗 |
京都新在家に住した禁裏御用の呉服商。武野紹鴎の門人。千利休に真台子を伝授したと言われている |
| 辻五助 |
|
|
等政と号す。後に松尾姓を名乗るようになる |
| 松尾宗二 |
|
|
千宗旦の門人。宗旦より楽只軒の茶号を受ける。俗名甚助、物斎と号す。 |
| 松尾宗政 |
|
|
俗名作兵衛 |
| 松尾宗俊 |
|
|
俗名吉右衛門 |
| 流祖 松尾宗二 |
楽只斎 |
木賊蒔絵面中次
澤陽茶器
朱茶器 |
茶の湯は初め町田秋波に学び、後に覚々斎原叟のもとで奥義を極める。名古屋での千家茶道普及に尽力する。俗名治兵衛 |
| 二世 松尾宗五 |
翫古斎 |
帽子棗
柿茶器 |
父である楽只斎に茶道を学び、茶家としての松尾家の基礎を築く。尾州徳川家のご用も勤める |
| 三世 松尾宗政 |
一等斎 |
|
幼名秀之助。能楽を好む |
| 四世 松尾宗俊 |
不管斎 |
|
行年25歳、家元としての在世はわずか3年だったが、詩歌を好み特に和歌は堪能であった |
| 五世 松尾宗五 |
不俊斎 |
野風茶器 |
先代・不管斎が早世したため、その妹・智静の婿養子となったが、不俊斎もまた39歳という早世だった |
| 六世 松尾宗古 |
仰止斎 |
黒柿菊桐蒔絵吹雪
鳶蒔絵平棗 |
養子として松尾家に入る。名は松本慶次郎為影、伏見稲荷中社の神主・松本筑後守を父に持つ |
| 七世 松尾宗五 |
好古斎 |
提重 |
鳥羽伏見の戦で京都東洞院押小路にあった住居を焼かれ、名古屋に居を移す |
| 八世 松尾宗幽 |
汲古斎 |
|
明治21年、父・好古斎の急逝により、茶道修業のため京都で表千家に入塾。碌々斎に師事する。名古屋に戻り八世となるが、別に志すところがあり台湾に渡る |
| 九世 松尾宗見 |
半古斎 |
笹蒔絵棗
木賊兎蒔絵棗 |
七世・好古斎の長男として生まれる。汲古斎の兄。一度は禅僧としての生活を好むが、先代・汲古斎が台湾に渡ったため九世の家元となる |
| 十世 松尾宗吾 |
不染斎 |
九重平棗
「瑞雲」茶器 |
伊藤次郎左衛門祐民等と松蔭会を組織し、今日の松尾流の基礎を作る |
| 十一世 松尾宗倫 |
葆光斎 |
|
昭和47年3月24日、名古屋・八事の八勝館において相続の披露茶会を催す。流派の近代化と発展に努め、公益法人として財団法人松蔭会を創設、理事長を務めた |
| 十二世 松尾宗典 |
妙玄斎 |
|
大徳寺龍光院に入り、妙玄斎宗典の号名を受ける。竜安寺大珠院森永宗興師に師事する。財団法人松蔭会現理事長。 |